こんにちは、アキヒロです。
お元気でしょうか?
職場、学校、家庭、日々色々とありますが、気晴らしに旅行もいいものです。
今日は2013年頃、ベトナムのディエンビエンフーからラオスのムアンクア、ウドムサイに旅行したときの話です。
ベトナム ディエンビエンフー
ディエンビエンフーはハノイから飛行機で1時間ちょっと。第一次インドシナ戦争のディエンビエンフーの戦いで有名なところです。
ラオス国境まですぐの場所です。
ハノイからディエンビエンフーに到着。空港から街に向かうと見えてくる戦勝記念碑のある丘(D1の丘)。
ベトナムはどこに行ってもバイクが多いですが、みんなちゃんとヘルメットを被っていますね。開発途上国に行くとヘルメットなしでバイクに乗っているところをよく見かけますが、ベトナムはノーヘルの罰金をヘルメット代以上に高く設定したことから、みんなヘルメットを被るようになったそうです。
さて、まずは歴史戦勝博物館に足を運ぶ。
博物館は普段あまりお客さんがいないのか、電気が消されていた。
チケットを買うと電気をつけてくれ、わざわざ案内までしてくれた。
小さな博物館なので、サクッと見終わる。
一緒にお茶でもと誘われ、お茶と果物で談笑。特に地方に行くとこういうことがあるから面白い。一期一会、旅は出会いである。
この日はこれでホテルに向かい、近くのローカルメシ屋で晩酌。
見ている映画は「Into the Wild」
1992年、ある青年が放浪の末にアラスカで死体となって発見された事件を描いたノンフィクション作品「荒野」原作の映画。たまに見たくなる、そして、どこかに出かけたくなる映画。是非どうぞ。
気分よく映画を見ながら呑んでいると突然のスコール。小雨になったところで退散。
翌朝はあいにくの雨模様。まず戦勝記念碑を見にいく。階段を上っていくと街並みがよく見える。
街の象徴的な存在の記念碑。
子供のほっぺがいい感じ。
少し散策しつつ、ド・カストリの司令部跡(フランス軍総司令部跡)、A1の丘へと足を向ける。
ムオンタン橋を通る。橋の袂に砲台が置いてあった。ディエンビエンフーでは至るところで戦争の遺物に出会う。
道すがら戦車も見える。
なんかちょっと気持ち悪い葉っぱ。。
途中、お腹が空いたので昼食。
旅先の食事は美味しい。
昼食を済ませて移動。雨も上がってくれた。
ムアンタンの市場。ベトナム語、中国語に加え、ラオス語の表記も見える。国境に近い街の感じ。ラオス語も少し通じる。
馬。牛やヤギはよく見かけるが、馬はめずらしい気がする。
日本の中古重機も活躍中。
ド・カストリの司令部跡に到着。
戦車や大砲なども見れる。
続いて、A1の丘に向かう。ディエンビエンフーにはフランス軍の陣地だった丘がたくさんあり、それぞれ番号が振られているとのこと。
ここでは爆弾が爆発した跡や塹壕などがそのまま残されている。
爆弾の跡
塹壕
塹壕の中から見ると、こんな感じ。かなり狭い。
隣に軍の墓地も見える。整然と墓標が並んでいる。
今日はこれでホテルに戻る。
激戦地も今はのどかだ。
ラオス ムアンクア
早朝から移動。ラオス、ムアンクアに向かう。
バスはこんな感じ。一応、国際バス。
おおよそ60Kmくらいのバスの旅。
ベトナム側の国境に到着。
かわいい感じの建物。
こちらはラオス側のイミグレーション。
ベトナム(ディエンビエンフー県)の支援によって建てられたものらしい。
山岳地帯だけあって雲が低い。
バスは無事にムアンクアに到着。
適当な宿を見つけて、チェックイン。
荷物を置いて、少し散策。
いい景色
子供たちが遊んでいる。楽しそう。
川辺のレストランを見つければ、とりあえずビールが鉄板。
バックパッカーが来るからか、メニューは英語併記。
景色を見ながら小休止。
日本にいるとパイナップルがなっているところを見かけることがないので新鮮。日本の子供たちにも見せてあげたい絵柄。
ゴミ処理場がないからか、放置されている。
歩いていると宴会をしている一団に出くわす。
誘われるままに一緒に飲む(タダ酒)。
人のサングラスかけてポーズをとってくるヤツ、ご機嫌。
子供かわいい。
ディエンビエンフーの博物館もそうだったけど、人と人との垣根が低いというか、気さくに声をかけて受け入れてくれる。旅はこういう出会いが楽しい。
しかし、これも発展していくと変わっていくのかもしれないと思うと寂しいところである。
この日は酔っ払ったので、ホテルに戻り就寝。
朝気がついたら、夜にこの宴会のメンバーから着信があった。かけ直すと、昨夜はあの後カラオケをやっていたので、声をかけようとしてくれたらしい。ホントいい人たち。
ラオス ウドムサイ
さて、ムアンクアからウドムサイに移動する。
ロードサイド・マーケットはこんな感じ。
無事にウドムサイ到着。散策してみる。
お寺。ラオスはホントどこに行ってもお寺がたくさんある。
ラオスは社会主義の国として独立後、1970年代に一度托鉢が禁止されたが、人々の強い要望(反発?)を受けて、再び認められるようになった。この温和な国民が声を上げることは相当のことだったのだろう。それ以降は、ラオス共産党幹部も積極的に仏教行事に顔を出すようになり、共産党は国民と共にあることをメッセージとして打ち出している。
ラオスの政府関係の庁舎。雰囲気のある作りが良い。
自然豊か。途上国では下水処理施設が整備されていないために、川が汚れてしまっていることが多いが、ラオスは人口が少ないからか、それほど川が汚染されている印象は受けない。
少年たち。右2人のポーズ、よく見かけるやつ。
ちょっと見えにくいが、ラオスに入るとヘルメットを被っている率がかなり低くなる。
高台からの一枚。好きな一枚。
県都だけあってそこそこ大きな街。
夕食をとったレストランの子供。かわいい。
ホテルに戻って就寝。
さて最終日、ウドムサイから飛行機でビエンチャンに戻る。
フライトまで時間があるので、街を散歩する。
子供のうちから3人乗りの練習は欠かせない。
宴会(カラオケ)をしている一団に遭遇。
進められるままビールを頂く(タダ酒)。ラオスはこのパターンが多い。
とりあえず集まって、飲んで、歌って踊る。ラオスの人たちは楽しみ方をよく知っている。
ウドムサイ空港。旅の終わりは満足と寂しさが入り混じる。
思い出すたびに幸せな気持ちにさせてくれる、そんな旅行でした。
特に役立つ情報等を載せているわけではありませんが、ちょっとした非日常をお裾分けできればと書いています。
またご興味があれば是非。