こんにちは、アキヒロです。
今日は自己肯定感について話をしてみようかと思います。
みなさんは、自分に自信がありますでしょうか。自分に満足しているでしょうか。なかには、自分はここにいて良いのだろうか、どうせ自分なんて、といった思いに駆られている人もいるかも知れません。
ここに書いてあることが必ずしも正解とはいえないかも知れませんが、少しでも前向きになれる何かしらのきっかけになると嬉しいです。
自己肯定感に関する国際比較
自己肯定感について調べてみると、様々なデータを見つけることができます。
例えば、こちらは日本を含めた7ヶ国の13~29歳の若者を対象とした意識調査 (2013年)の結果の一部です。

図表1を見ると、半数以上が自分に満足していない結果となっています。よく言えば、今の自分に満足していない、自分はもっとやれるんだという向上心があるとも言えなくもないですが、図表2の方を見ると、自分はもっとやれる、といったような自信は窺えず、自分で自分の良さを認められない、自信のなさが見てとれます。
また、次の図は「高校生の生活と意識に関する調査」における国際比較です。


こちらも同様に他国に比べて劣等感が強いような結果となっています。
自己肯定感に関する日本人の特徴
日本人は何をもって自分に満足し、自分に自信をもつようになるのでしょうか。
ネットを見ていると面白い分析を見つけました。北海道大学の先生が行った、自尊感情とその関連要因に関する国際比較です。
一部抜粋します。
「「自分への満足感」が高い国の青年の特徴は,「長所」や「主張性」「挑戦心」といった自分自身の特徴やスキルによって,「自分への満足感」が影響を受けやすいということである。それに対して,日本の青年の「自分への満足感」は,「長所」といった要因に加え,「役立つ(有用感)」あるいは他者への「不信感」という対他者との関係によって決まる要因からも影響を受けやすいということである。言い換えるなら,アメリカやイギリス,フランスといった国の青年の「自分への満足感」の高さは「自分はどうであるか?」といった対自的な自己認識の要因によるものであるのに対し,日本の青年の「自分への満足感」の低さは,対自的な要因のみならず,「自分は他者にとってどうであるか?」「自分にとって他者はどうであるか?」といった対他的な自己認識の要因によっても影響を受けているということが考えられる。」
上記研究の示唆として、他国に比べ、日本人は他者との関わりのなかに自分を見ているということが窺えます。
これは、集団の一部として、自己を相対化させて位置付けているということで、よく言えば、(言外の)コミュニケーション能力の高さとも言えなくはないですが、他方、空気を読んでしまうこと、自分らしさみたいなものを置いて、所属する社会・コミュニティが求める自分でいなければならないという、ある意味、圧迫感のある観念にもつながるようにも思えます。
そうした観念においては、所属集団の要求にうまく応えられれば、一定の貢献と見なされ、その社会・コミュニティから評価を受けて、満足感が高まることになるはずではありますが、しかし、それは本当の満足なのでしょうか。ただ居場所をなくさなくて良かったという自己犠牲の上にある安心感とも思えます。
そして、この他者からの評価による満足が自己肯定感につながるものであるとするなら、これは自己肯定を他者に依存することにほかなりません。
まわりを見渡すと、自分に好意的な人もいますし、そりの合わない人もいます。好意をもってくれている人はあなたを評価してくれているでしょうし、そりの合わない人からは、悪口の1つや2つ出てくるかも知れません。
あなたはあなたであるだけですが、見方は人によって異なります。当たり前の話ですが、絶対的な価値観で人を評価できる人間は存在しませんので、それぞれみんな偏った見方によって人のことを見ているに過ぎません。自己肯定を他者に依存するということは、そんな当てにならないものにすがっているということになりますが、本来、そんな必要はないのです。
本来あるべき自己肯定感
結論を言えば、あなたはそこに存在している時点で肯定されています。
これは理由のない、絶対的な肯定です。
ただし、ここでいう肯定はあなたのやっていることがすべて正しいといった行為を肯定するものではなく、存在の肯定です。
人間ですので、常に正しい行いができるわけではありません。人に迷惑をかけることもあります。しかし、それはそれで気づいて見直していけば良いものです。
〇〇だから肯定される、自己存在の肯定に理由や条件は必要ありません。逆に、〇〇だから肯定されるのであれば、〇〇でなくなったら肯定されなくなるのかという話になり、絶対的な〇〇(理由や条件)は誰にも決めることができないことを考えると、理由のある肯定感は表面的なものでしかありません。
あなたの存在は確実に肯定されていますので、あとは、そのことが腑に落ちるかどうかです。
これは考えることではなく、心で納得するものです。「あ、そうか。そうなんだ」とそれだけなのです。
そこに絶対的な肯定感、そして安心が生まれます。
この絶対的な肯定感は、自らのエゴへの向き合い方や他者を許容することにつながっていくところですが、そのあたりの話はまた別の機会に。
それでは良い一日をお過ごしください。